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マンガ「少年役者・八子大夫」

少年役者・八子大夫

三田市から南下して、神戸市北区に入ったあたりの地域を「道場町(どうじょうちょう)」と呼びます。

道場町は、大阪から三田へ抜ける街道と淡河からの湯乃山街道が合流する交通の要所でした。神鉄道場駅すぐ東には「松原城(別名・たんぽぽ城)跡」という城跡があり、塩田八幡宮・鏑射寺といった伝統ある寺社も多く、歴史のある地域です。

そして道場町には室町時代に能が行われた記録も伝わっています。その記録をもとに、昨年一昨年に引き続き、漫画家の富士山みえるさんにお願いして、再びマンガにしていただきました。

少年役者・八子大夫

少年役者・八子大夫

元にした記録は京都・相国寺の蔭涼軒主だった臨済宗の僧侶・季瓊真蘂(きけいしんずい)が書いた日記『蔭涼軒日録』。その文正元年(1466)閏2月の記事です。

最初の2コマ目~3コマ目にある「この人たちはここで、陰謀を考えたり戦の相談したり……そんなことはまーったくしないで、ただ温泉に入って、ごちそうを食べて宴会を楽しみました」という展開は大のお気に入りです。

もちろんこれにも根拠があります。桜井英治『室町人の精神 日本の歴史12』(講談社、2001年)の257ページに「錚々たる面々が参加していた点でも目を引くが、かといって彼らのあいだに何らかの政治的な密談が交わされていた様子もなく、彼らは一ヵ月近くも文字通り物見遊山に明け暮れたのである」とあることを元にしました。

『室町人の精神 日本の歴史12』の続きでは、宴会での乱痴気騒ぎの具体的な内容も書かれていますから、興味のある方は読んでください。

丹波猿楽・八子大夫

今回取り上げた八子大夫(やつこだゆう)は、丹波国を拠点として活動した猿楽(現在の能楽)の役者。いわゆる丹波猿楽の一派でした。

とはいえ、丹波国内だけで活動していたのではなく、今回マンガにしていただいた摂津国・道場河原での記録があるほか、丹後地方でも活動が確認されています。その子孫は江戸時代にも活動が確認され、一部は宝生座の座員なって江戸にも移り住んだようです。

八子大夫の名前の由来を「8歳で能を演じたため」とするのは、実は江戸時代の記録に初めて現れることで、室町時代の八子大夫が実際どうだったのかはよく分かりません。ただ非常に魅力的な名前の由来ですので、今回はそのまま採用することにしました。

少年役者ということで、世阿弥が『風姿花伝』年来稽古条々に説いた「時分の花」と「まことの花」の関係の要素も踏まえて、マンガに仕立てていただきました。世阿弥自身も、美少年ぶりで将軍・足利義満をはじめとした貴顕たちを魅了して、鮮烈なデビューを果たした後に、苦労して大成した役者でした。

八子大夫が能の天女を演じているコマで、彼が能面をかけていないのはわざとです。少年役者は、その美少年っぷりも含めて愛されたはずですので、能面で顔を隠してなかっただろうという判断のもと、敢えて能面を掛けない姿で描いていただきました。

2ページの短いマンガですが、昔のことを絵にするというのは、いろいろと気を使うべきところがあり、難しくも楽しい作業でした。

このマンガは、夏に開催予定の「さんだ狂言子ども教室」の告知チラシに印刷して、配布することと考えております。八子大夫の故事に倣って、子どもさんたちが楽しく能楽(能・狂言)に触れる機会にしたいと思っています。

この記事を書いた人

朝原広基

「能楽と郷土を知る会」会員。ネットを中心に「柏木ゆげひ」名義も使用。兵庫県三田市出身・在住。大学の部活動で能&狂言に出会ってから虜となる。能楽からの視点で、歴史の掘り起こしをライフワークにすべく活動中。詳細は[プロフィール]をご覧ください。

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