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【仙台藩伊達家の能10】秘曲《関寺小町》京都伊達邸で復活上演

小野小町供養塔

先に神子大夫についての触れた際、古七大夫(初世北[喜多]七大夫)が徳川秀忠の希望によって獅子の芸を復興させたことに触れた。ほかにも、古七大夫は他にも当時退転していた秘曲・秘伝の復活上演を行っている。古七大夫の、能界の第一人者たる実力と自負、そして将軍徳川秀忠など幕府の強い後援が揃ってこその活動であろう。

その古七大夫による「獅子」と並ぶ秘曲復活の双璧が《関寺小町》である。

《関寺小町》は、室町末期には能最高の秘曲としての評価が確立しており、秘曲視のあまり、演じられることが少なくなり、その結果退転してしまっていた。しかし、安土桃山時代に入り、関白・豊臣秀次の所望を受けて、能界の第一人者であった下間少進が復活上演を行う。そののち少進のほか、豊臣秀次・豊臣秀吉・宇喜多秀家など、能楽を愛好する武将たちによる《関寺小町》所演が行われているが、下間少進の没後は再び演じる者がいなくなっていた。

その《関寺小町》を、寛永2年(1625)5月7日、江戸城本丸における諸門跡饗応の能で、古七大夫が復活上演を行っている。笛は、平岩親好の師・牛尾豊前がつとめた。

この後、《関寺小町》は古七大夫の売りのひとつとなったらしい。早速、翌寛永3年(1626)8月16日、京都の伊達忠宗邸で催された関白・近衛信尋の饗応能で演じられている(表章『喜多流の成立と展開』平凡社、1994年所収「北七大夫長能の出演記録集成」125。原資料は『古今稀能集』)。

この時、忠宗・古七大夫ともに、将軍徳川家光の上洛に随行して上洛していた。

この時、《関寺小町》の笛をつとめたのは、政宗の小姓から一流を立てた平岩親好である。これは平岩親好が主催元である伊達家の笛方であったためで、表氏は「勘七に秘曲の笛を経験させるのが主目的だったと解される」 と述べている。前年の《関寺小町》で笛をつとめた牛尾豊前の弟子であることも関係しただろうか。

この時は伊達政宗自身の名は出ていないが、政宗の嫡男・忠宗が主催したものであり、伊達家と古七大夫との距離はかなり近づいていた。

この記事を書いた人

朝原広基

「能楽と郷土を知る会」会員。ネットを中心に「柏木ゆげひ」名義も使用。兵庫県三田市出身・在住。大学の部活動で能&狂言に出会ってから虜となる。能楽からの視点で、歴史の掘り起こしをライフワークにすべく活動中。詳細は[プロフィール]をご覧ください。

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