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尼崎薪能と能《船弁慶》

1ヶ月以上ご無沙汰いたし、誠に申し訳ございません。

現在、「能楽と郷土を知る会」は来年の活動を見据えて、ウェブサイトの改装を行なっているのですが、これが思った以上に手間がかかっておりまして。完成したら、その告知のエントリーを出そう…と思っている間に、このように時がたってしまいました。

さて。今月初めの話となってしまいますが、8月8日、尼崎市の阪神「大物」駅近く、大物川緑地公園野外能舞台で催された「尼崎薪能」を見てきました。最初は尼崎こども能楽教室の発表などもあったようなのですが、残念ながら仕事を終えてから駆けつけたのでそのあたりは見れず。私が到着した時はちょうど火入れ式をやっている時でした。

火入れ式は、篝火に火を入れる儀式で、もっとも「薪能」らしさを演出するセレモニーといって良いと思います。多くの場合、会場近くの神社から分けられた御神火が分けられて、火が灯されます。尼崎薪能では、近くの大物主神社の御神火でした。

薪能自体の歴史は、起源までいうと平安時代中期にまで遡りますが、火入式だけに絞ると、実は戦後生まれの儀式です。現在も6月1日・2日に催されている京都薪能が企画された際に、何か薪能ならではの仕掛けをしようと、当時、企画委員だった狂言方大蔵流の茂山千之丞さんが中心になって、オリンピックの聖火リレーを模して考えられたもの、と聞いています。

とはいえ、京都薪能は今まで70回近く続く大人気の催しとなり、全国で大流行する薪能の草分けのひとつとなりました。火入れ式もそれと共に、他の薪能にも取り入れられていったのです。

尼崎薪能で上演されたのは能《船弁慶》。実はこの大物ゆかりの演目です。ストーリーは以下の様な内容となっています。

源平の合戦で、源氏の大将として大活躍した源義経。しかし平家の滅亡後、兄頼朝とうまくいかないようになり、武蔵坊弁慶ほか数人の家臣だけを連れて西国へと落ち延びるため、尼崎の大物浦へと向かいます。

そこで弁慶の知り合いの船頭に依頼して、海を渡る船を用意してもらうのですが、そこに義経を慕う静御前が追ってきます。この先の厳しい道のりを予想する弁慶は、静を都に返そうとしますが、静はおとなしくは聞き入れず、義経に直に談判しますが、義経からも都に帰るよう説得されてしまいます。静は心を決め、白拍子として義経たちの行く末を寿ぐ舞を舞った後、涙ながらに帰っていくのでした。

一方、海に出た義経一行。最初は良い天気でしたが、次第に恐ろしい嵐が吹き荒れます。その中に、西国で滅びたはずの平家の悪霊たちが現れ、中にも平知盛の幽霊は長刀を振り回して襲いかかってきます。義経は剣を抜いて応戦しますが、幽霊には武器は通用しません。弁慶が不動明王に祈ることで、幽霊たちは退散し、義経たちは嵐を乗り切ることができたのでした。

最近、尼崎では能《船弁慶》を地元ゆかりの演目ということで特に押していて、尼崎薪能では2年に1回は《船弁慶》を上演することにしているとのことです。

《船弁慶》はストーリーが分かりやすく、義経・静御前・弁慶という有名人たちが登場することに加え、女性の舞を見せる前半と、幽霊が力強い動きを見せる後半が対照的なこともあって、能の中でも屈指の人気曲です。それが地元ゆかりの演目だなんて…尼崎が羨ましいです。

《船弁慶》は「お殿さまが見た狂言」で取り上げた記録でも上演が確認できる三田ゆかりの演目でもあります。いつか三田でも《船弁慶》が上演したいなぁ…とは夢見ています。今のままでは夢ですが、いつかぜひ。

「尼崎薪能」
2016年8月8日(月)17時30分〜。 於・大物川緑地公園野外能舞台
解説 山村貴司(能楽コーディネーター)
能《船弁慶》
前シテ(静御前)赤井きよ子 後シテ(平知盛)梅若善久 子方(源義経):吉井晟朝 ワキ(武蔵坊弁慶):福王知登 アイ(船頭)善竹隆司
笛:赤井要佑 小鼓:清水晧祐 大鼓:辻雅之 太鼓:上田慎也
観覧無料
この記事を書いた人

朝原広基

「能楽と郷土を知る会」会員。ネットを中心に「柏木ゆげひ」名義も使用。兵庫県三田市出身・在住。大学の部活動で能&狂言に出会ってから虜となる。能楽からの視点で、歴史の掘り起こしをライフワークにすべく活動中。詳細は[プロフィール]をご覧ください。

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