三田市貴志の御霊神社に謡の奉納額がありました
7月3日の「お殿さまが見た狂言」のチラシが完成し、現在、三田市内外を配り歩くか、郵送で送るかとチラシことばかりを考えるような生活をしております。
さて、配って回る中で、貴志の御霊神社へちょっと寄り道しました。というのは、この神社には謡の奉納額がある、と本で見たので、この機会に確認しておこうと思い、尋ねたのです。
貴志の御霊神社は、ウッディタウンのすずかけ台からすぐ…なんですが、それが信じられないぐらい雰囲気もあり、こんな参道もある立派な神社です。
参道を進むと、拝殿と本殿が。
説明板には「文明2年(1470)」に「再建」とありますから、それ以前から古社で、本殿は国指定の重要文化財とのこと。神事講の記録も永禄年間(1558)から巻子本として残るとのことなので、昔から周囲の人々に大切にされてきたお社であることが分かります。
私の目的の謡奉納額は拝殿に掲げてありました。昭和29年とありますから西暦に直すと1954年。今から62年前です。当時は当然ウッディタウンなどのニュータウンはまだなくて、三田市も現在以上にのどかな土地だっただろうと思います。
最後に「吹田市 木内松菁社」とあるので、最初の《神歌》上段に名前のある「木内菁」という方が能楽師で、その木内氏が指導される社中による謡と仕舞の奉納が行われただろうことが分かります。現在も活動されている大阪の観世流能楽師に「木内十三比古」さんがいらっしゃいますから、この木内菁氏とご親戚なのだろうか、と推測。
しかし、大阪府吹田市の方々がなんで三田で?という疑問が。可能性としては、奉献者として最後に名前が出ている「福田傅太郎」という方が、三田のこの貴志御霊神社の氏子なのかもしれません。
この福田傅太郎さんが謡われた《正尊起請文》は観世流の重習の曲ですし、また出番が最後であるので「福田傅太郎が重習の披露を地元の崇敬する神社で行うことになり、師匠とその社中を引き連れて三田まで来て、その記念にこの額を作り、奉納した」と推測するのはいかがでしょうか。
まあ、何も証拠はないので、せめて、木内菁や福田傅太郎、ほかに名前が書かれている人について何か分からないか調べてみるぐらいはすべきかと思いますが、今は推測を楽しんでおくことにします。
なお、国指定重要文化財だという本殿は、今は残念ながら檜皮葺きの屋根を葺き直しているということで、その姿を見ることはかないませんでした。また改めて見に来たいものです。