【仙台藩伊達家の能14】伊達政宗と成実、能《実盛》に感泣す
能《実盛》 シテ:井戸和男(観世流)
伊達成実が記した、伊達政宗の伝記『政宗記』の巻11「政宗物僻事」には、政宗が能《実盛》を見て感涙したエピソードが記されている。
これは『伊達治家記録』寛永8年(1631)4月24日条に見える、仙台での政宗居城・若林城における演能かと思われる。
この日の演能については『政宗君記録引証記』4月29日条に詳細な番組が残っており、それによると、能10番全てのシテを桜井八右衛門がつとめていたことが分かる。
これだけでは単に政宗が八右衛門演じる能《実盛》に感泣したことを、成実が『政宗記』に記録したに過ぎないことになるが、同様の話を収める他の本に当たってみると、少し見え方が変わって来る。
まずは『木村宇右衛門覚書』の対応する部分を挙げる。
※能《実盛》の詞章の引用部分は先の『政宗記』と同様のため省略した。また傍線は私が引いた。
『木村宇右衛門覚書』によると、『政宗記』に記された内容に加えて、感泣したのは政宗だけではなく、実は傍らにいた伊達成実も共に感泣していたこと、2人の年齢が60過ぎであったことを記す。寛永8年だとして政宗は65歳、成実は64歳である。
この能《実盛》に感泣する話は『政宗公名語集』にも紹介されているので、該当箇所を以下に引用する。
※《実盛》の詞省略、傍線は先の『覚書』の引用と同様。
『政宗公名語集』は『木村宇右衛門覚書』より更に詳細である。
例えば『覚書』では2人の泣き様について、政宗は「涙をはらはらと流させ給」い、成実は「声を忍びにたて袖濡るゝほど流れける」と静かに涙する程度であったとしている。
しかし、『名語集』になると政宗は「御声をあげ、ひたもの御落涙あそばされ候」、成実は「是も御同前に、御座敷にたまらせられぬほど、落涙あそばされ候」とかなり激しい描写となっている。
もっとも、この手の記録は後に尾鰭が付けられるのが常であるので、詳細であることと、事実に近いかどうかは別問題である。しかし『政宗記』では全く触れられていなかった成実の感泣については、『覚書』『名語集』の記述から事実と認めて良いだろう。
そのように考えると、成実がこの話を『政宗記』に記すにあたって、自らも共に感泣したことを敢えて削ったことが想像されよう。このあたりに、記録者としての伊達成実の姿勢が垣間見えるようでもあり、彼らの能楽に対する姿勢が感じられるとともに、興味深い。
主従として戦国の世を共に駆け抜けた1歳差の従兄弟である伊達政宗と成実が、齢60を超えて、改めて老武者ゆえの意地と気概を見せる能《実盛》を共に見ることで、その胸に、過去の様々な思い出が去来したと想像することは許されよう。
またそれこそが、芸能・舞台の力であり、効能だと筆者は感じている。