金剛流・金春流による異流共演《二人静》「豊嶋晃嗣能の会」
先日12月3日(日)に京都・金剛能楽堂で催された「豊嶋晃嗣能の会」。会主であるシテ方金剛流の能楽師・豊嶋晃嗣さんが、シテ方金春流・山井綱雄さんをゲストに招き、そのお二人による能《二人静》がメインの会でした。
二人で同じ舞(相舞)を見せることが見どころとされる能《二人静》で、敢えて異流共演に挑む――。当然、型(動き)が違うので合うわけはない。その「冒険心」に興味を覚えて、拝見に向かいました。
豊嶋晃嗣さんと山井綱雄さんの「おはなし」
催しの最初に異流共演のお二人、会主の豊嶋晃嗣さん(シテ)と、今回ゲスト出演の山井綱雄さん(ツレ)によるトークが行われました。内容は、今回の舞台にに至るまでの経緯、そして敢えて《二人静》を選んだ意味と、それに対する思いがメイン。
今回の企画を言い出したのは山井綱雄さん。「まず豊嶋晃嗣という能役者と競演したい」という思いから始まったとのこと。「どんなに魅力的な能役者でも、同じシテ方で流儀が違うと、通常、舞台上で共(競)演することが叶わない。これがワキ方・囃子方・狂言方ならば、もし人間国宝だったとしても可能なのに”勿体ない”」。
現代においては、必ずしも珍しいとはいえない異流共演。しかしその演目に定番の《蝉丸》などではなくて、たぶん他ではまだ試されていないであろう《二人静》を選ぶところに、この企画の冒険性と価値を感じました。
また、流儀は違っても、互いに「能」であるからこその”逃げ場のなさ”があって、それが真剣勝負に繋がるとの話で、お二人とも興奮と緊張を感じられている様子でした。「ほかのジャンルとのコラボなどは、割とやってきたほうだが、思えば、今までのものは”事前に想像がつく”ことだった」と豊嶋晃嗣さん。
中でも、《二人静》で異流共演をすることについて、豊嶋晃嗣さんが金剛宗家に相談された際、宗家が「どんな舞台になるか想像がつかない」と仰ったとのことで、「却ってやる気が刺激された」との言葉が印象的でした。
豊嶋晃嗣さんは「能《二人静》は、相舞が見どころとされるあまり、演者の技量だけが注目され、物語として見られないところに違和感を感じていた」とも。それを受けてか、今日の《二人静》は物語として見せる工夫がなされていたと感じました。「こう見せることもできる」という舞台からの提案、といえるでしょうか。
全体としては「型ではなく心を合わせる。互いの流儀の主張はする。互いに付かず離れずの舞台」を目指すとのこと。
なお、トークの司会・案内は、金剛流の師範で能楽研究者でもある中嶋謙昌さん。シテ・ツレのお二人に的確な質問をして話を広げられ、また、お二人が引かれた後の案内では、あらすじの繰り返しでも見方の押し付けでもなく、「こんな見方もある」とヒントの提示をされていたのがとても素敵でした。
異流共演《二人静》の具体的なレポート
メインの能《二人静》は、異流共演で、普段と違うことをなさるため、自然と演出の見直しも行われます。その結果が私の眼にはとても説得力のあるものとして映りました。《二人静》という夢幻能と現在能の中間のような曲趣が、2人の主役が現れる異流共演という形に似合うとも感じました。
以下は、細々とした舞台の様子を、記録を兼ねて記したものです。
前半、常では静御前の化身(前シテ)が中入するところでは、橋懸で後ろを向いて下居で姿を消した体。菜摘女(ツレ)に霊が乗り憑る場面で、再び舞台に入り、ツレの後ろにぴったり張り付いて、問答はシテとツレが交互に受け答え、立体的な憑依の表現になりました。
後半。舞の装束を身に付けて舞台に現れたシテとツレ。長絹も腰巻の縫箔も同じものなのに、烏帽子(シテ金、ツレ黒)と長絹の露(シテ紅と白の混ざったもの、ツレ緋)の色は違いました。そこが、それぞれの流儀の主張であるようにも感じて、これも「付かず離れずの心」でしょうか。
クセから始まる相舞は、私は金剛流も金春流も細かい型は存じませんのですが、それぞれの流儀の型かと推測しています。基本的には別々の動きなのですが、アゲハなどではほぼ同じ型もあり。多少前後して似た型があると、まるで残像を見ているようにも感じ、良い意味で目が離せないものでした。
クセ後の「頼朝に召し出され、静は舞の上手なり、疾く疾くとありしかば」の部分、ツレは舞台の前に出て下居して、シテはツレを向いて後ろから招キ扇をする。ここはシテを頼朝に擬して、ただただ下居するツレの「恨めし」い気持ちが描かれる立体的な表現で心に残りました。
序之舞のカカリまでは、クセに引き続き、それぞれが別々に舞い、初段オロシでシテは橋懸に下がって床机にかけ、舞台で舞い続けるツレを見る体。シテは二段オロシで泣く型(シヲリ)をしてから立ち、橋懸で舞い始める。ここからはそれ以前とは打って変わってシテ・ツレが同じ型で舞います。山井綱雄さんが最初のトークで「序之舞の一部で、金剛流の型で舞う部分がある」と仰っていた部分なのでしょう。
序之舞が終わり、「思ひ返せばいにしへも、恋しくもなし」はシテが後ろからツレの肩に手を載せる定番の型。印象的ですが、私は観世流の型だと思っていましたので、どの流派でも共通なのでしょうか。
「名をば沈めぬ」で、シテはワキ正、ツレはワキ側を向いて下居。ツレはここで烏帽子を外してそのまま幕へ向かいます。憑依が解けた表現で、その背中には全く名残はなく、それがまた好感です。
「もののふの」以降のキリはシテのみ。「静が跡を弔び給へ」でシテはワキに向かって下居合掌し、ワキも正面を向き合掌。返シの謡では、シテは合掌を解いて立ち、留メ拍子を踏みますが、ワキはそのまま合掌を最後まで続けます。ワキ小林努さんの涼やかな合掌姿がまた真摯な姿勢に見えるものでした。
全体の感想
全体の感想としては、実に良質な、能のエンターテインメント性を強く追求したお舞台でした。
豊嶋晃嗣さんのお言葉にあったように、《二人静》は能の中でも「ぴったり動きを合わせるところを見せる演目」という認識が強いかと感じています。宝生流では明治の三名人の一人・宝生九郎知栄による「名人が二人揃うはずがない」との判断で廃曲になりましたし、観世流には”可能な限り一緒に舞わない”「出立之一声」という小書(特殊演出)があります。それだけ技術的に難しいのだと思います。
今回は動きを合わせることを目指さずわけではなく(合わせた部分はありましたが、それが目的ではない)、それぞれの流儀の型を用いて、しかし同じものの表現を目指すとの視点だったのだろうと感じています。そのためにお二人が、舞台上のことも、それに至るまでの工夫や努力も、持てる力をぶつけあって、その結果、観客が魅せられた。これに尽きるかと思います。ずっとワクワクしっぱなしで拝見しておりました。
実はこの企画、東京・国立能楽堂で9月3日(土)に催された「山井綱雄之會」で、シテ山井綱雄さん、ツレ豊嶋晃嗣さん(地謡・金春流)で上演されたものの、配役を入れ替えての再演なのです。今、思えば「山井綱雄之會」も拝見するべきだったと後悔。東京での上演での反省などを踏まえ、より練り上げられた京都上演はだったのではないかと想像しております。
実に意欲的で刺激的な催しでした。
山井綱雄さんからのお返事
(ここからは12月7日の追記です)
この記事を山井綱雄さんがご覧になり、facebookでも紹介いただきました。その際にいただきましたお返事を、許可を賜り以下に転載させていただきます。
同じパートのシテ方が同じ舞台に立つときに、それぞれの流儀の伝来を大切にしつつ、しかも能としてどれだけの表現が可能なのか?
しかもそれがやって意味のある異流共演であること、お客様からご覧頂き良かったと思って頂くこと、というところを目指した、かなり欲張りなところ(笑)を目指しました。
クセは、それぞれの流儀の型で舞いましたが、所々を合わせました。
・上羽扇
・左右
などの型を合わせることは勿論、
・「にじこうの滝」の滝の流れを表す型
・月の扇
・二ノ上羽の後の「ツマミ扇」
実は「ツマミ扇」という型は我が金春流には無く、観世さんと金剛さんに有るそうですね。
今回、私が晃嗣さんから教わり、ツマミ扇にチャレンジしました!合わせるようにしました。
クセの後の「それのみならず」からの型は、晃嗣さんとご相談しながら、新たに創りました。どちらの伝来でもありません。
序ノ舞は、朝原さんご指摘の通りです。9月の東京公演の折、もう少し合っている場面を織り込んだ方がいいのでは?とのご指摘を羽田昶先生より頂き、ご指摘の通り、序ノ舞の二段ヲロシ以降、私が金剛さんの型を晃嗣さんから教わり、金剛流の型にチャレンジしました。
普段と違う型を舞うのは、かなり難しいことでしたが、私自身は愉しかったです。
序ノ舞の寸法は、金剛流の寸法でした。
実は、カカリ、初段、二段と、金剛流と金春流は全く一緒なのです!なので、何の苦労もありませんでした。三段だけが一巡(4クサリ)金剛流が長く、これは東京では金春流の寸法、今回京都公演では金剛流の寸法に合わせて舞いました。
キリの型は、金春流の型です。京都公演ですから金剛流の型でする予定でしたが、色々検討した結果、金春流の型で今回も臨むことにしました。
烏帽子の色、長絹の露の色の違いは、ご指摘の通り、人物設定の違い(静御前の亡霊と、菜摘の女という現実生身の人間)を出すためにわざとそのようにしました。
憑依が解けたツレの表現も、今回新しく考えて致しました。
異流であることを逆手に取って、能《二人静》に新しい解釈と表現を目指しました。
豊嶋晃嗣さんも私も、今までにかなりのコラボレーション含めた対外的な活動をしてきました。
今回は古典的な能というステージで、お互いに逃げ場のないところで、今までの経験と知識と感覚をフルに使って、表現しました。
そういう意味では、今までの課外活動のひとつの集大成ともいえるかもしれません。
今後、またこのようなチャレンジを、可能であれば、してみたいです。
そして、それぞれの流儀の伝来を大切にしつつも、異流共演にひとつの道が開けたらと思います。
でも逆に、こういうことで、自分の流派の良さを再認識しました。金剛流の素晴らしさも感じました。
能楽界として先細り感がある中で、これからは能楽界が一致団結していくことが必要ですね。
その1つの例となれたら、嬉しいです。
最後にこの我が儘な企画をお許し下さった、我が金春宗家、そして金剛御宗家に、心より御礼申し上げます。
ありがとうございました。
記事の内容に対する丁寧なお返事でもあり、山井綱雄さん、そして豊嶋晃嗣さんの熱い思いが伝わってくる文章をいただきました。本当にうれしいです。
深く御礼を申し上げますとともに、お二人の今後の益々のご活躍が楽しみです。
能《二人静》
平成29年(2017年)12月3日
於・金剛能楽堂
シテ(静ノ霊):豊嶋晃嗣
ツレ(菜摘女):山井綱雄
ワキ(神職):小林努
アイ(太刀持):茂山七五三
笛:左鴻泰弘
小鼓:曽和鼓堂
大鼓:河村大
後見:金剛永謹、高橋忍、廣田幸稔、豊嶋幸洋
地謡:松野恭憲・金剛龍謹ほか