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「お殿様が見た狂言」根拠の記録

御代々附録

今回の「お殿様が見た狂言」が根拠としている記録は、三田藩の家老だった九鬼勘左衛門家に伝わった記録『御代々附録』です。

その文政二年の箇所に以下のようにあります。

同二年年二月廿二日 隆邑公御九十之年賀御家中
御祝被下幷御領下在町ヱモ御祝餅被下。九十之御年
賀格別之御祝付同月廿六日廿七日右両日於書院御側
之面々御相手ニテ御能被進御家中一統拝見、廿七日ハ
御家中之婦人女子拝見仰付
【現代語訳】
文政2年(1819)2月22日、隆邑公(たかむら、三田藩八代藩主)の90歳のお年賀のため藩士たちにお祝いを下された。また、領地内の在(むら)と町(まち)へもお祝いの餅をお下しになった。90歳の年賀は特別のお祝いであるので、同じ月の26日27日の2日間、書院において、お側仕えを相手に能を演じられ、家中の藩士が拝見した。27日には家中の婦女子にも能を見るよう仰せつけられた。

行動の主語が書かれていませんが、当時の藩主であった十代目の九鬼隆国と解釈しています。隆邑は歴代の藩主の中でもっとも長生きされた方でした。

同じく九鬼勘左衛門家に伝わる書物の中に、この時の記録かと思われる能・狂言番組もあります。これは『三田市史 第4巻 近世資料』に資料番号376として掲載されているものです。藩主・隆国の出演については、「御」とだけ書かれて、名前は書かれていません。

ただ一点だけ問題があって、この『三田市史』の番組には「文政二卯正月廿六日」とあるのです。一方の『御代々附録』には記事の最初に「二月」とあって、能・狂言が催されたのも「同月」なので、二月ということになります。

この矛盾については『三田市史』掲載の番組はその当時に作られた記録であるのに対して、『御代々附録』は、九鬼勘左衛門が家に伝わる記録を集成・編纂したものなので、番組に有る「正月」の方により正しさが認められるだろう、と私は考えています。

この記事を書いた人

朝原広基

「能楽と郷土を知る会」代表。ネットを中心に「柏木ゆげひ」名義も使用。兵庫県三田市出身・在住。大学の部活動で能&狂言に出会ってから虜となる。能楽からの視点で、歴史の掘り起こしをライフワークにすべく活動中。詳細は[プロフィール]をご覧ください。

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