節分は「豆をまく」?「豆を囃す」? 狂言から
江戸時代後期の儒学者、平賀蕉斎の随筆『蕉斎筆記』(寛政12年[1800]ごろ成立)を読んでいたところ、豆まきの掛け声について記した部分に“節分の夜、豆をはやす”[1]『百家随筆』3(国書刊行会、1918年)による。とあるのを見つけました。現在、豆に対して“囃す”とはまず言わないので、面白く感じていました。
すると昨年(2017年)、狂言方大蔵流・善竹忠亮さんが狂言《節分》を初演(披キ)される前日に“豆は『囃す』もの”とTwitterに書いてらしたのを見つけました。
へぇ・・
こういう考え方もあるのか。明日[節分]の披き。
豆は「囃す」もので
終曲部ではガッツリ「ぶつけ」られますがね。 https://t.co/yLN6dbZ8vF— 善竹 (茂山) 忠亮 (@TadaakiZenchiku) 2017年2月4日
どうやら“豆を囃す”のは決して珍しい言葉ではないようです。このことをTwitterにてつぶやいたところ、さらに狂言方和泉流の野口隆行さんからも、狂言《福の神》に“漸々豆を囃す時分でござる。いざ豆を囃しましょう”とあるとお教えいただきました[2]なお、江戸時代中期の大蔵流狂言台本を活字にした笹野堅校訂『大蔵虎寛本能狂言』(岩波書店、1942年)で《福の神》を確認したところ、ほぼ同様の“漸々豆をはやす時分でござる”とありました。。
福の神でも「漸々豆を囃す時分でござる。いざ豆を囃しましょう。」といっています。
— 野口隆行 (@noguchitakayuki) 2018年1月20日
《節分》も《福の神》も、ともに“鬼は外”または“福は内”と豆を投げる場面のある曲目です。少なくても狂言では流儀を問わず、“豆を囃す”といっている様子です。もしかしたら、江戸時代以前は“豆をまく”よりも“豆を囃す”方が一般的な言い方だった可能性もありそうです。
改めて“囃す”という言葉について国語辞典を引いてみると、以下のように書かれていました。
[動サ五(四)]《「栄やす」と同語源》
1 手を打ったり、声を出したりして歌舞の調子をとる。「手拍子を打って―・す」
2 囃子(はやし)を奏する。「笛太鼓で―・す」
3 声をそろえてあざけったり、ほめそやしたりする。「弱虫やあいと―・す」「やんやと―・されて得意になる」
4 取引市場で、値を上げる材料として言いたてる。「不況に強い食品株が―・される」[3]コトバンクより『デジタル大辞泉』。2018年1月23日閲覧。
上の1の意味を踏まえると、豆まきの際の“鬼は外、福は内”の掛け声のことを、本来「囃す」と言っていたのが、後に意味が広がって、豆をまく作法自体を“豆を囃す”というようになったのではないでしょうか。
実証するならば、もっと多くの例を調べるべきでしょうが、ここではこの程度で止めておきます。より詳しい話をご存じの方がいれば、お教えいただけましたら幸いです。
脚注
^1 | 『百家随筆』3(国書刊行会、1918年)による。 |
---|---|
^2 | なお、江戸時代中期の大蔵流狂言台本を活字にした笹野堅校訂『大蔵虎寛本能狂言』(岩波書店、1942年)で《福の神》を確認したところ、ほぼ同様の“漸々豆をはやす時分でござる”とありました。 |
^3 | コトバンクより『デジタル大辞泉』。2018年1月23日閲覧。 |