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能の登場人物が地名に?「芦屋公光」

芦屋市公光町

兵庫県芦屋市のJR芦屋駅すぐ南側の地名を「業平町」といいます。古典文学『伊勢物語』に書かれた数々の伝説から、平安時代一のプレイボーイとして知られる在原業平に由来する地名です。『伊勢物語』87段に以下のように書かれています。

昔、男、津の国、莵原うばらこおり、芦屋の里に、しるよしして、いきて住みけり。昔の歌に

芦の屋の灘の塩焼きいとまなみ黄楊つげ小櫛おぐしもささず来にけり

と詠みけるぞ、この里を詠みける。ここをなむ芦屋の灘とは言ひける。

この男、なま宮仕へしければ、それをたよりにて衛府ゑふすけども、集まり来にけり。この男のこのかみ衛府督ゑふのかみなりけり。

物語はこの後も続きますが、長くなるので、引用はここで止めておきます。

「津の国」は摂津国のこと。「菟原の郡」は今の芦屋市全域から神戸市の東灘区・灘区・中央区の東半分(生田川)までの地名ですから、「芦屋の灘」という言葉にとても合致します。「しるよしして、いきて住みけり」とは、業平らしい「男」が領地がある縁で、芦屋に住んでいたことを表します。「兄も衛府督なりけり」とありますが、実際に、業平の兄・在原行平は左兵衛督になっているので、実際の人名は書かれていませんが、この文章の登場人物が在原氏の行平・業平兄弟だと分かるように書かれています。

『伊勢物語』のこの記述を根拠として、芦屋は業平ゆかりの土地となったのです。業平町は、この業平の別荘があったとされるところです。根拠ははっきりしませんが、江戸時代の地誌(土地のガイドブック)『摂津名所図会』(寛政8年・1796年より刊行)巻七「在原業平別荘古蹟 葦屋里の中なる葦屋川の傍にあり。今田圃の字となれり」とあるので、18世紀のころには業平ゆかりの土地と言われていたようです。

能《雲林院》ゆかりの地名も

続けて地図を見ていたら、業平町のすぐ南が「公光町」でした。能《雲林院》のワキとして登場する人物です。

これは津の国芦屋の里に公光と申す者にて候。我稚かりし頃より伊勢物語を手馴れ候処に、ある夜不思議なる霊夢を蒙りて候程に、只今都に上らばやと存じ候(観世流大成版謡本より)

正しくは「芦屋の里に公光と申す者」ですが、多くの場合、「芦屋公光」と呼ばれる人物です。能《雲林院》は、芦屋公光が夢に導かれて京都・雲林院と尋ねると、そこで在原業平の霊に出会い、『伊勢物語』の秘伝を伝授される…そんな話です。

芦屋公光は一般に架空の人物だとされますが、大谷節子氏は、この公光を院政期に実在した藤原公光(1130~1178)とされています[1]大谷節子「世阿弥自筆本『雲林院』と中世伊勢物語秘説―又寝の夢が語るもの―」(特別展『伊勢物語と芦屋』図録、芦屋市立美術博物館、2000年)。とはいえ、「いわば時間軸の指標として設定されている」もので、藤原公光と芦屋の間に具体的なつながりが見えているわけではありません。

でも、少なくても『摂津名所図会』には「業平屋敷」と並んで、「公光社」が記されています。社というからは、芦屋公光を祀っている神社と考えるべきでしょう。

実はその公光社らしいものが、現代にも残っています。なぜか公光町ではなくて、そこから少し北西にある「月若町」の中に、ひっそりと「業平大神」そして「公光大神」と記された小さな祠があるのです。

公光塚・業平塚

祠の中には、大小二つの屋根がついた石塔がありました。どちらが業平で、どちらが公光なのかは分かりえませんが、こうしてセットで祀られているのは、どう考えても能《雲林院》の影響です。

能《雲林院》自体は能という演劇に作られた「架空の物語」ですが、それが実際の史跡が作られ、地名となって現代に定着していることの面白さを感じるばかりです。

業平大神・公光大神
住所:兵庫県芦屋市月若町
アクセス:阪急電鉄神戸線「芦屋川」駅から徒歩3分

脚注   [ + ]

1. 大谷節子「世阿弥自筆本『雲林院』と中世伊勢物語秘説―又寝の夢が語るもの―」(特別展『伊勢物語と芦屋』図録、芦屋市立美術博物館、2000年)
この記事を書いた人

朝原広基

「能楽と郷土を知る会」会員。ネットを中心に「柏木ゆげひ」名義も使用。兵庫県三田市出身・在住。大学の部活動で能&狂言に出会ってから虜となる。能楽からの視点で、歴史の掘り起こしをライフワークにすべく活動中。詳細は[プロフィール]をご覧ください。

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