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世阿弥の命日 付「天、花に酔ゑりや」について

桜の花

本日8月8日は世阿弥の旧暦での命日です。世阿弥の没年は不明なので、現代の暦に換算した場合の日付は、残念ながら分かりません。

さて、世阿弥と《鼓の瀧》について、クラウドファンディングを呼びかける本文に「世阿弥自身が謡っていたことは確実」と書きました。その根拠は世阿弥の芸談『申楽談儀』12段にある、以下の一節です。

「天、花に酔ゑりや」、「り」 ときりて「や」 と謡ふべし。

この「天、花に酔ゑりや」とは、《鼓の瀧》の中では、鼓の瀧周辺に咲き誇る桜の花の見事さを謡い上げた箇所の一句です。ここを謡う際には「り」の部分で一度切って、改めて「や」と謡え、という意味で、謡い方の注意・指導の際の言葉が記録されたのかと思われます。

この部分は、長い間、「花に酔ゑりや」だと理解されてきた部分でした。といいますのも、現代も演じられている能の《田村》《小塩》《大江山》などには「天も花に」という形で謡われているからです。

しかし、この箇所を、『申楽談儀』諸本調査の結果、「天、花に酔ゑりや」とした方が良いとしたのが、戦後の能楽史や世阿弥伝書研究をリードした能楽研究者の表章(おもて・あきら)氏です。

そして、「天、花に酔ゑりや」が《鼓の瀧》に存在することを指摘したのは戦後、「世阿弥の再来」とまで言われて、一世を風靡した能楽師・観世寿夫(かんぜ・ひさお)氏でした。

それ以来、『申楽談儀』のこの一節は、《鼓の瀧》を指し示すとするのが通説となっています。詳細は、表章氏の「観世寿夫の研究的なる著述の背景」(『観世寿夫著作集1 世阿弥の世界』平凡社、1980年所収)に記されていますが、能楽研究と実技の交わった姿を見せる大好きな話です。

戦後の能楽研究上の、一つのエピソードの紹介でした。

この記事を書いた人

朝原広基

「能楽と郷土を知る会」代表。ネットを中心に「柏木ゆげひ」名義も使用。兵庫県三田市出身・在住。大学の部活動で能&狂言に出会ってから虜となる。能楽からの視点で、歴史の掘り起こしをライフワークにすべく活動中。詳細は[プロフィール]をご覧ください。

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