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九鬼副隆と九鬼隆久―柳生家から養子入りした三田藩主二代

三田藩九鬼家の四代副隆(すえたか)と五代隆久は、大和国柳生藩主柳生家からの養子でした。

三田藩初代藩主・九鬼久隆の娘が柳生宗春に嫁ぎ、その間に生まれたのが副隆でした。つまりは副隆は、久隆の外孫にあたります。隆久については九鬼家との直接の血縁はないのですが、副隆の従弟にあたるため、副隆の養子となって九鬼家を継いだようです。

柳生家と能

彼らの実家・柳生家は、徳川将軍家の兵法指南役の家として知られていますが、同時に能とも深いつながりを持つ家でした。

江戸初期にかけて活動した能の金春大夫・金春氏勝は、武芸者としても知られた人物で、柳生新陰流の柳生宗厳(むねよし/むねとし、石舟斎)に兵法を習っています。現在も宝山寺に伝わる金春家旧蔵資料には『柳生剣法許状』が伝わっています。(→奈良女子大学学術情報センター「生駒山寳山寺所蔵 貴重資料電子画像集」

また宗厳の子の宗矩(むねのり)が仕えた三代将軍徳川家光は、玄人(プロ)ではない素人(アマチュア)の能を好んだ人でした。その影響もあって、宗矩も家光の前で能をよく演じており、能数奇としての逸話が知られています。

能最高の秘曲とされる《関寺小町》を何度も演じている記録がありますし、舞い過ぎて倒れたとか、他の大名家に押しかけて舞って、友人の沢庵和尚に注意を受けたという話も伝わっています。

九鬼副隆・隆久と能

九鬼副隆と隆久は、その宗矩の曾孫にあたります。

特に隆久は、九鬼家は外様の家柄ながら、実家が徳川家譜代の柳生家であるためか、五代将軍徳川綱吉に御小姓として仕えました。

特に出仕しやすいように、江戸屋敷を江戸城に近い場所に変える命令が出たほどに、気に入られていました。

この綱吉も、歴代将軍の中でも特に能狂いだった人物として知られています。

綱吉が、普通の演目では飽き足らなくなったため、埋もれた能の演目が次々と復活上演されました。

また、お気に入りの能役者を次々と士分に取り立てたため、能役者の家が絶えたりするような波乱すら起こすほどでした。

そんな綱吉に小姓としてそば近く仕えた隆久。綱吉の相手をするために、能の稽古に励んだ可能性もあるかも…とこれは証拠もない全くの想像ですが、思っているところです。

この記事を書いた人

朝原広基

「能楽と郷土を知る会」会員。ネットを中心に「柏木ゆげひ」名義も使用。兵庫県三田市出身・在住。大学の部活動で能&狂言に出会ってから虜となる。能楽からの視点で、歴史の掘り起こしをライフワークにすべく活動中。詳細は[プロフィール]をご覧ください。

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