「くわばら」の語源かも 雷除けのお寺・欣勝寺
前から一度参りたいと思っていた、兵庫県三田市桑原にある曹洞宗 太宋山 欣勝寺。
昔、このお寺に落ちてきた雷を住職が懲らしめたという話があり、それ以来、地名「桑原」は雷除けの呪文になったという謂れのあるお寺です(呪文「桑原」の由来については、異説も多々あります[1]呪文「桑原」の由来としては、菅原道真の領地であった桑原という説のほか、大阪府和泉市桑原にある無量山西福寺という説も知られています。)。最近は「落ちない」ことから受験生のお参りも多いとか。
ご住職にいろいろお教えいただきまして、雷が落ちたお話について、いろいろ資料も拝見させていただきました。見せていただいた中で、もっとも古そうなのが、詳しい年代は分からないものの、江戸時代に遡るらしい『雷除守護略縁起』。
そのまま文字に起こすと、少々難しいので、以下に大まかな内容を現代語で紹介します。
その済用禅師が座禅をしていたところに、雷が落ちてきたため、とっさに袈裟を投げかけると動けなくなった。三帰五戒の文を授け、袈裟を与える(仏門の弟子にする作法)と、雷電を発して空中に去っていきました。
しばらくして、雷神が再び現れて平伏していうには、「私は天上で雲や雨を司る雷神ですが、生の苦しみが尽きることがありませんでした。しかし今日、み教えを受けたことで救われました。さらに天帝から雷神の長官に任じられました。そのお礼に参ったものです。これから禅師がお教えになった地域には、雷を落とすことはいたしません」と言って、誓紙を差し出した。
このことが有名になるにつれて、里の名前「桑原」が雷除けの呪文となった。ましてこのお寺のお守りを持つ人は雷だけではなくて、天帝の守護ですべての災いを免れ、幸せを得ることは間違いない。ただただ謙虚に信心するべし。
以上、このようなことが書かれています。この記事の文末に、一部読めていない文字もあるものの、現時点での翻刻文を載せておきますのでご確認ください。
欣勝寺の雷井戸
この欣勝寺の雷除けの由来に関する話は、江戸時代の書物では、儒学者・平賀蕉斎による随筆『蕉斎筆記』巻二(寛政12年[1800]自跋)にも登場[2]『百家随筆』3(国書刊行会、1918年)による。します。
この『蕉斎筆記』では、お寺を作ったのが「通玄和尚」(通幻寂霊)となっており、また周囲の村を「母子村」としており、どうやら母子の永沢寺と話が混ざっているらしく、少々不正確です。しかし、「鳴神落かゝりけるを、早速袈裟を投かけ給ひければ、忽鳴神も静に成けり」とあって、『雷除守護略縁起』と同じく、雷の動きを止めた原因は袈裟となっています。
それが130年ほど後の、昭和4年(1929)にまとめられた『有馬郡誌』になると、「何物とも知れず井戸中に落下す。和尚直ちに麻の袈裟にて井口を被ふ」とあって、まだ袈裟も登場するのですが、雷が井戸に落ちて、それに蓋をされる形で閉じ込められる形になっています。
これが戦後になって刊行された民話集[3]西谷勝也『伝説の兵庫県』(神戸新聞総合出版センター、2000年)、兵庫県学校厚生会『ひょうごの民話』神戸新聞総合出版センター、2012年、宮崎修二朗・徳山静子編『新版 日本の民話25 兵庫の民話』(未来社、2015年)など。いずれも新版であり、原話はもう少し遡れる。では袈裟が登場しなくなり、井戸を石や竹あみで蓋をすることに変化して、井戸が主体となっていきます。
そのように伝承が伝わる途中で加えられた「雷井戸」。しっかり境内にありました。ご住職に「井戸の覆いを取っても良いですよ」と許可いただいたので、中を覗いてみました。残念ながら今は雷はいませんが、水が湛えられていました。
記事の最初にかかげたカワイイ雷さんの像は「雷井戸」の碑の前にあります。訪れた際には是非ともご覧ください。
桒原山欣勝寺『雷除守護略縁起』翻刻(仮)
抑當山開基済用玄普禅師は、丹刕村雲の庄洞光寺八代■の善知識なり。然るに年老によりて當山に退去し給ひ、猶日夜坐禅観法おこたることなかしに、天俄に揆曇降雨車軸を流し雷光虚空に翔り雷堂上に轟て、済しく戒壇の上に落、禅師直に袈裟を取とり投かけ給へバ袈裟の下にうづくまりて動くこと不能、其とき禅師如来傳来の三皈五戒の文を授たまひ其後、袈裟給へは又元のことく雷電■■を飛して空中に去る。されども禅師日頃にかはることなく其侭坐禅の床にましましけるが不思議なる哉前の雷神遍然と現れ低頭拝伏していはく、「我ハ上天雲雨を司る雷ハ■■■せられて幾万劫を経るとも此苦患つくる時なかりしを、今日幸三法の御名を同五斎の教法を悟り忽抜苦快楽せり。故に天帝我に命じて雷神の司となす。歓喜のあまりこゝに来りていさゝか其報謝を述る也。以来後渡一心の中ハ更なり、師の教化の所ハ誓て雷難をのかれしめん」と直かに誓紙を書畢るとおもへハ四邊に雲■立■ひ忽然として行方をしらず。寔なる哉、金光明々最勝王経に、天の四方に雷神の司在り、と如来の金言符節を合せるがことし。此々の世上に流布して里の名を呼でけり、雷神を■呪とす。況や此御守を所持する輩ハ雷難をまぬかるゝのみか、二六時中、天帝の應護に預り万の災ひをまぬかれて頓に幸ひを得る事うたかひなし。武夫壮士といふとも我慢謗蔑の心をやめ専ら信心にもとづきたまふべしといふことしかり
攝州有馬郡
桒原山欣勝寺
脚注
^1 | 呪文「桑原」の由来としては、菅原道真の領地であった桑原という説のほか、大阪府和泉市桑原にある無量山西福寺という説も知られています。 |
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^2 | 『百家随筆』3(国書刊行会、1918年)による。 |
^3 | 西谷勝也『伝説の兵庫県』(神戸新聞総合出版センター、2000年)、兵庫県学校厚生会『ひょうごの民話』神戸新聞総合出版センター、2012年、宮崎修二朗・徳山静子編『新版 日本の民話25 兵庫の民話』(未来社、2015年)など。いずれも新版であり、原話はもう少し遡れる。 |