能が好きすぎて大変なことになったお殿さまの話
先日、播磨学研究所/編『世界の遺産 姫路城』(神戸新聞総合出版センター、1994年)を読んでいたら、歴史作家の故・黒部亨さんの講演録「榊原政岑と高尾太夫」で面白い話がありましたので、紹介したいと思います。
榊原政岑(1715-1743)は江戸中期の姫路藩主。しかし、将軍・徳川吉宗が出した倹約令を無視して贅を尽くした結果、享保の改革に対する抵抗と見なされました。強制的な隠居と蟄居を命じられ、領地も越後高田へと移されます。将軍吉宗との政治的対立はともかくも、贅沢だったことから、姫路の歴代藩主の中でもあまり評判のよい人物ではありません。
ただ、政岑は政治よりも趣味に生きた人物だったようで、将棋や三味線などとともに、能楽も非常に愛好しました。能楽の中でも特に神聖視される《翁》についての秘伝「翁之大事」を、江戸時代の神道を統率した京都の公家・吉田家から受けている記録がありますから、数多い趣味それぞれを極める性格だったのでしょう。
黒部亨さんは、榊原政岑について以下のように語っています。
そして政岑の子で、越後高田藩主となった榊原政永(1736-1808)も、父に負けない能好きだったようで、以下のような興味深い話を紹介されています。
- 能好きな榊原政永。自らの能を拝観することを家臣やその家族に許可した。「拝観の許可」といっても、つまりは「見に来い」ということです。
- 主命とあって最初は頑張って来た家臣たち。しかし、あまりに続くので、段々と出席率が悪くなる。
- すると次は領民に触れを出す。最初は「普段見ることがかなわない城内が見物できる」と喜んでいた領民たちも、そのうち飽きてしまう。
- しかし、榊原政永も観客が居ないと張り合いがないらしく、ついに領内の村々に石高に応じた観客割当を命じる。
- 庄屋達が粘って、日当と弁当付きという条件を引き出したが、それでも農繁期には辞退が続出。
- 最終的は城下にたむろしている野良者や博打打ちが、日当と弁当目当てに殿さまの能を見に行くという珍事態となった。
落語にも、下手ながら浄瑠璃好きの大店の旦那が、店子たちに無理やり聞かせようとする《寝床》がありますけれど、そのお殿さま・能楽版といったような話。能楽好きとしては親近感がわくのですが、一方で、つきあわされた家臣や領民たちにとっては、はた迷惑な話ですね。
『世界の遺産 姫路城』では、この話を伝える具体的な史料名は示されていないのですが、越後高田の資料を探して、原文で味わってみたいものです。
三田市どころか兵庫県域の話でもありませんが、お殿さまと能楽について、とても興味深い話なので、紹介してみました。
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